差し入れのために菓子折りをあつらえることになりました。さいきん近所に小さな洋菓子店ができたので、これさいわいと足をはこびました。

 お店の看板には、ひらがな四文字で奇妙な名前が書いてありました。意味がわかりそうでわからない、もどかしい言葉でした。個性的な店だなという印象をいだきました。

 店内に入ると小さなショーケースがひとつ置いてあり、その向こうに店員が立っていました。ショーケースの中をのぞくと、茶色い、でこぼこした、平べったい、たぶんお菓子のようなものが並んでいました。クッキーのように見えるけれど、味の想像がつきません。甘いのか、しょっぱいのか、硬いのか、やわらかいのか、判別できませんでした。
 私はその茶色いお菓子のようなものの詰め合わせを注文しました。店員が包んでいるあいだに、奥からオーナーらしき男がのっそりと這い出してきました。

 男は絵に描いたようなパティシエでした。眼鏡をかけ、口ひげをたくわえて、バルーンのようにお腹の白衣をふくらませています。パティシエは手にタッパーを持っていました。そうしてそれを「いま新しく作っている商品です」と言って私に差し出しました。タッパーの中には、茶色い、でこぼこした、小さなかけらが、いくつか散らばっていました。

 私はタッパーから茶色いかけらをひとつ摘まんで食べました。それは硬いようでもあり、やわらかいようでもあり、甘いようでもあり、しょっぱいようでもありました。何か味はするけれど、何の味かはわかりませんでした。まずいようでもあり、おいしくないようでもありました。
 パティシエはニヤリとして「おいしいでしょう」と自信に満ちた丸顔で笑いました。私はとっさに「個性的な味ですね」と、もっともらしい顔をしてとりつくろいました。

 私は菓子折りの紙袋をさげて店を出ました。紙袋は数日後、無事に相手へ渡りました。相手とはその後もながい歳月の交流がありましたが、例のお菓子の話題が出ることはついにありませんでした。だからあの茶色い物体がどんな味だったのか、甘かったのか、しょっぱかったのか、硬かったのか、やわらかかったのか、まずかったのか、あるいはおいしくなかったのか、わからずじまいです。

 ほどなく私は棲家を引っ越しました。そうしてひさしぶりに件の洋菓子店の前を通りがかると、シャッターは閉ざされ看板も取り外されていました。
 「どうしてあんなにおいしいお菓子が売れなかったのだろう?」と、あのパティシエは今もどこかで首をかしげているにちがいありません。