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二月十六日 火よう日 てんき(はれ)
 ぼくは、つとむくんと、あそびました。百円をもっていきました。二百円もっていきました。百円をつとむくんに、あげました。おかしやさんにいって、おかしをかいました。二こかいました。そしたら、ゆうじくんと、ゆみとくんと、としかずくんにあいました。ゆうじくんと、ぼくと、つとむくんと、あそびました。つとむくんのおかあさんから、チョコレートをもらいました。
(一九八七年)
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 つとむ君は小学生のとき最もよく遊んだお友達のひとりです。つとむ君は歳の離れたお兄さんがいた影響で、やんちゃでませた子でした。つとむ君はお兄さんから仕入れた大人の世界の情報を、よく私たちに披露してくれました。

 お父様は工事現場で働いていたようです。お父さんは恐いと、つとむ君は言っていました。つとむ君の家にお泊まりに行ったとき、私はなるべくお父様と顔を合わせないようにしていましたが、二階で騒いでいたら階下からお父様に怒鳴られてしまいました。

 つとむ君には変わった癖がありました。頻繁に、脈絡なく、小刻みな声を発するのです。当時は知識がありませんでしたが、今おもうと明白なチック症でした。彼のチックは始終、淡々と繰り返しましたが、どうかすると発作が突然激しくなることがありました。そんな時は慣れている私も緊張しました。不思議と学校ではほとんど声が出ませんでした。

 つとむ君の家に遊びに行くと、たいていリビングルームにお母様がいらっしゃいました。リビングルームは上品な趣味で、お母様はハイカラなエプロンをつけ、何か書き物の仕事をしておられました。お母様はまた、その部屋でビデオを観ていることもありました。決まって外国の映画を観ていました。つとむくんのおばさんはおしゃれだなと、私は感じていました。

 中学に上がってまもなく、つとむ君のお母様が亡くなられました。少し前に乳がんで入院をされたという話を聞かされていました。それから一度もお目にかかることなく訃報が伝えられました。

 お通夜の日、私は母と一緒に同じ町内のつとむ君の家へ向かいました。とっぷりと暮れた宵闇にさびしい灯火をともして、つとむ君の家はしんと静まり返っていました。
 つとむ君は玄関口にひとりぽつんと立っていました。制服を着て、弔問客に挨拶をする係りをしていました。私たちが訪れると、つとむ君は後ろに手を組んだまま、ぺこりとお辞儀をして、だまって笑いました。つとむ君の瞳に映じた灯火がいまにも零れそうでした。
 私はなんと声をかけていいのか分からず、つとむ君の前をよそよそしく通り過ぎました。

 静まりかえったお家にお邪魔をすると、お母様がいつも映画を観ていたリビングルームに、祭壇が設けられていました。弔問客は私たち以外にいませんでした。つとむ君のお父様やお兄さんも見当たりませんでした。私と母はそこで短くお焼香をして、すぐに帰ってきました。
 母親が亡くなるということが子供の私には想像のつかない出来事で、遺されたつとむ君たちはこれからどうなるのだろうと不思議な気持ちになりました。

 玄関先で涙を湛えながら笑いかけるつとむ君の顔を今でも覚えています。平静を装って係りを勤めるつとむ君がとても大人びて見えました。
 その日、つとむ君は例の声をひとつも発しませんでした。