K先生のこと
中学三年生のときの担任はK先生でした。K先生はとりわけ印象のふかい恩師の一人です。ぽっちゃりとして声の高い、女の先生でした。いつも笑顔をたやさず、生徒一人一人へあたたかなまなざしを配っていました。笑った顔が、泣き顔のようでした。
私たちのクラスは小鳥のように元気な子から貝のようにおとなしい子まで個性に富んでいましたが、みんながみんなを好きで、自由であたたかく、団結のつよさは学年一でした。これはひとえにK先生の人柄を反映したものだったでしょう。集団生活のにがてな私がただ一度だけ、居心地のよさを感じた教室というのは、あとにもさきにもこのクラスだけでした。
K先生のクラスでは「予定帳」を提出するルールがありました。予定帳は明日の時間割を書きうつし、宿題や持ちものをメモするためのうすいノートです。時間割の下に数行のメモ欄がありました。そこへ日記を書いて提出する習わしだったのです。日記には学校であったできごとや、先生の話を聞いておもったことなどを書きました。K先生は全員分の日記に赤ペンで返事を書いて返却しました。
私はK先生の器に信頼して、日記をつうじて思春期特有のうっぷんを小難しい屁理屈をこねて訴えはじめました。大人にとっては青臭く生意気な文章だったことでしょう。しかし先生はそんなものにも真摯に返事をくれました。私は日記を書くのが楽しみになり、それ以上に返事がもどってくるのを楽しみにしました。
あるとき先生の返事に「□□ちゃんの言葉は深くて重みがある」と書いてありました。私はおだてられていい気になり、その後も輪をかけて幼稚な屁理屈を投げつけては先生の赤ペンを煩わせることになりました。
K先生と直接話した機会は多くないにもかかわらず、親しく交流のあったように覚えているのは、こうやって予定帳の中でいつも一対一のおしゃべりをしていたからでしょう。青臭い生意気な主張にも、先生は否定をせず、ごまかしもせず、真正面から向きあってくれました。大人になった今、その態度にあらためて感慨と敬意をおぼえます。
K先生が怒った記憶はほとんどありません。一度も怒らなかったなんてことはないでしょうが、先生の怒った顔や声というのが今では想像しにくい。いつも柔和でおおらかでした。けれど先生のやさしく語りかけることばからは凛とした筋を感じました。彼女がなにを求めていて、なにを許さないのか、クラスのみんなは心得ていました。だから開放的でありながら規律の乱れることはなかったのです。
卒業式ではK先生はお着物を召して参列されました。手間のかかる和装はひとりK先生のみでした。うすみどり色のマットが敷かれパイプ椅子をならべたひややかな体育館へ、ひときわあでやかな華を添えておられました。式のはじめから、いつも泣いているような顔をさらにくずして赤くなっていました。なにかをこらえながら、つとめて口角をあげようとしている表情に、こちらも目頭を熱くしました。
卒業生の名前をクラスごとに担任が読みあげました。クラスで最後の点呼です。K先生は、いつもとおなじやさしい声で、いつもよりゆっくりと、私たちの名前を読みあげました。
K先生は手元の名簿へ目を落とすことなく、壇上からまっすぐに生徒をみつめて名前を呼びました。たった数文字の名前のなかに、その生徒との思い出をすべて詰め込んでいるかのような声音でした。呼ばれた生徒もそれに応えるように「はい」の二音に、せいいっぱいの気持ちを込めていました。
私はじぶんの名前を呼ばれると、はじめて呼ばれたときのように、どきりとしました。
卒業が近づいたころ、卒業文集をつくるため、教室で寄せ書きをし合う時間がありました。各々の名前が中央に書かれた色紙が、自由自在に騒がしい教室の中を行き交い、たちまちどの色紙もゆかいなメッセージに埋まっていきました。
Tさんの色紙もまわってきました。Tさんは不登校の女の子でした。私たちが学校でTさんと顔を合わせたのは一度か二度しかありません。しかしK先生と、一部のしっかり者の女子生徒が連携して、絶えずTさんとつながっており、その世話役をつうじた情報て、私たちもごく自然にTさんに親しみを覚えていました。
そんなTさんの色紙もまた、いつも教室にいたかのようにたのしくあたたかな言葉にあふれていました。
そういうクラスだったのです。
卒業式の済んだ春休みにはクラスメイトであつまって、お別れ会をしました。会場はカラオケボックスでした。ちいさな部屋に制服を脱いだ私服姿のみんなが詰めかけました。
元気な子たちが入れかわり立ちかわりマイクをにぎって、当時の流行歌を、照れかくしのふざけ半分にうたっていました。音痴な私はひと前で歌うなんて思いもよらないことで、うしろのほうで目立たないようにしていました。お鉢がまわってこないか卒業式以上に緊迫しましたが、なんとか歌わずにすみました。
お別れ会にはもちろんK先生も参加しました。卒業式のようなしめやかさはみじんもなく、いつものように笑って、いつものように解散しました。先生は赤い小さな車に布団や生活用品を満載にして乗りつけ、お別れ会が終わるとそのまま故郷へ帰っていきました。