祖母は裁縫が得意だった。祖母が亡くなって、こじんまりとした家族葬を催した折、斎場には祖母の作った数々の作品が、近しい者たちの手で展示された。私はそれを眺めながら、私の知らない祖母の功績をしみじみと偲んだ。
 祖母の作品は完成度が高く、売り物として十分に通用したが、祖母はあくまで趣味を通した。みんなが祖母の作品を欲しがった。欲しい人がいれば、祖母はその人のために作って贈った。車椅子で外出もままならない祖母の手から生まれた作品は、海外へも渡った。私の部屋にも、祖母の作品中一番人気だった布製の小さなお地蔵さんが、一体飾ってある。

 展示品に見入っている私のそばへ、見知らぬ高齢の女性が近づいて来た。高齢とはいえ、背筋はしゃんとして雪のような白髪を戴いた品のあるご婦人である。彼女は初対面の私にも親しげに話をした。私は故人の孫であることを自己紹介し、ご婦人は故人との関わりを紹介した。彼女はひとしきり身の上を喋った。アパートに一人暮らしで毎日仏壇へ手を合わせていること。毎朝ラジオ体操を欠かさないこと。ことに今まで三千回余のラジオ体操に参加しているのが、彼女の自慢だった。下一桁まで律義に数えていた。同時に、いつまで健康でいられるかと、不安を口にした。だが、他の誰よりも長生きしそうな活力があった。

 そこへ私の母が寄ってきて会話へ加わった。母は話の流れで、愚息の未だ独身なることをひけらかした。するとご婦人は自身の子息のことを喋った。息子さんは今はベトナムの工場に赴任して、現地のスタッフを指揮しているという。現地の怠慢な従業員たちが、息子さんの教育に感化を受け、勤勉な労働者へ変貌したことを物語った。家族でベトナムに住んでいる由。奥様との出会いは、合コンだった。息子さんの隣へたまたま座った女性が、ひと目彼を見て「わたしと結婚してください」と申し込んだそうである。

 話の最後にご婦人は「出会いはどこに転がっているかわからないから」と、品のある微笑を私に送った。我がぞんざいなる母親といえば、無遠慮に便乗して「そうだよねぇ」なんて加勢している。そうして二人して遠回しに私の独り身へお節介を焼いた。
 私は、「このご婦人にして、その息子さんありだな」と思った。この柔和で、利発で、よく喋るご婦人から、息子さんの人間的な魅力は容易に察せられた。また、その魅力を一瞥で見抜いた奥様の人間性にも思いを馳せた。きっかけは偶然かもしれないが、起こるべくして起こった僥倖だ。この野暮ったい我が母と、そのうらぶれた息子を、目の前の崇高な遺伝子と引き比べるのは無謀だろう。人の良いこのご婦人にはそれが盲点であった。私は何も言わず苦笑いをして、ご婦人の情けと、無邪気な母の視線を誤魔化した。
 ご婦人はひとしきりお喋りをすると、その場を辞して、また別の参列者を捕まえてラジオ体操三千回の自慢を繰り返していた。

 祖母も世話好きだった。生前には会えば必ず、「おい、まだ?」と私の顔を覗き込んだ。結婚はまだか、という催促である。そこでも私は苦笑いをしてやり過ごした。
 祖母はときおり車椅子のまま担がれて美容院へ通った。美容院の従業員にも人気者だったらしい。自分の髪を切る女性が独身だと聞くと、同じく独身の孫を紹介しようと口説いたらしい。これは展示品の前に佇む私に、祖母の世話をしていた叔母が語ったことだった。孫のうち、独身なのは私だけである。祖母に悪いことをしたかなと、私は思った。
 展示されている祖母の作品のうちには作りかけのものもあった。普段使っていた針山も家にあったそのままの姿で飾られていた。糸を通したままの針が、所在なさげに立っていた。